ヒドゥン・カリキュラムーその3-

Posted By on 2012年6月29日

さて、ヒドゥン・カリキュラムを創る二つの方向というものが、あります。

そのうちの一つが、「無意識的なものをどう充実させていくか」ということです。

無意識。つまり、自分では意識しないことが、人にはたくさんあります。

そして、それは、ヒドゥン・カリキュラムとなって、学級に、子どもたちに、大きな影響を及ぼします。

小学校の教師って、子どもたちの前に君臨している独裁者みたいなものだから、自分がテルジョンナム、いやちがいました。

キムジョンナムのようであっても、分かりません。

だから、ふだんから、謙虚で、いろんな人の言葉に耳を傾け、いろいろな講座から学び、そして、本を読み、学識をひろげなければなりません。

忙しくて本を読んでいる暇もないなんていう教師の無意識のヒドゥン・カリキュラムは、実に貧しくてつまらないものになります。

無意識的なものを充実させていくには、自分自信が豊かでなければいけません。

人と接し、語り合い、映画に涙し、演劇から学び、スポーツに汗を流す。

そういう自分人生そのものを豊かに楽しまないと、自分が育っていかないと、やせ細ったヒドゥン・カリキュラムしか、持てないように、僕は思います。

 

次に、意識して創り上げていけるヒドゥン・カリキュラムの話をしましょう。

具体的に、こういうことをやっていくことが、ヒドゥン・カリキュラムの充実につながるということです。

一つ目。子どもとのコミュニケーションです。良質のコミュニケーションをつくっていきましょう。

子どもの一人一人と、どういうコミュニケーションを持っていますか。

コミュニケーションが一部のこどもとのことになっていませんか。

授業をしているときに、子どもたちとのコミュニケーションが成立していないと、ただ、先生と一部の子どもたちとだけで、授業が構成されていきます。

そんな教室でいくらさまざまな取り組みをやってみたところで、決して子どもを変えることは、できません。

今、教室にいる一人一人の子どもたちの全員に対して、

鳩山君とは、いつも世界平和の話をしているなあ。

野田君とは、教室で飼っているドジョウの話をしているよ。

輿石君とは、日記で、けっこう深いやりとりをしているね。

小沢君とは、話はしないけど、彼はいつも眼で僕とやりとりをしている。

菅君とは、いつも彼の愚痴を聞いてあげている。

長友君と香川君とは、一緒にサッカーして走り回っている。

というように、確実にこの子とのコミュニケーションは、こういう形である、というものを持っていますか。

教壇に立って、一対多の形のコミュニケーションしかしていなかったら、子どもとの関係はできていかないし、教師の語る言葉に子どもたちは耳を傾けなくなっていきます。

良質のコミュニケーションがとれているかどうかは、子どもたちとした会話や関わりを、思い出す範囲で記録にとっておくことです。

そうすれば、はっきりと分かります。

目に見える形に可視化するということです。

 

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