『きれいごと抜きのインクルーシブ教育』
Posted By taga on 2017年5月29日
悩んで悩んで、黎明書房からこういう本を出しました。
世に問いたい気持ちが強かったのです。
自分のような立場のものが、こういう問いかけをしても良いのだろうかとも
思いつつ。
まえがきの一部を紹介します。
※ 僕は長年私立小学校という現場で過ごしてきました。特別支援教育とは縁遠い所で教育に携わってきたのです。
しかし、ここ数年、教室での「あの子」の存在が目立つようになってきました。それは私学とて例外ではありません。
いや、特別支援の視点を持たない私学の方が、対応は難しいのかも知れません。
また、いろいろな公立小学校を回ってお話をさせて頂いたり、
アドバイスしたりする立場から、教室の「あの子」に対する現場の苦悩を実感することも増えてきました。
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学校現場の現実の前では、それらはただのきれいごとなのです。
・ 「あの子」が暴れても経験の浅い先生が一人で対応しなければならない。
・ 授業が「あの子」によって、めちゃくちゃになってしまう。
・ 「あの子」だけが立ち歩くことを許されて、納得できない子ども達。
・ あの子への言葉や体の暴力
・ 被害児童の保護者が学校へ怒鳴り込んでくる
そういうことは、日常茶飯事のようにあるのです。
その中で、先生たちがもがき苦しんでいます。毎年のように全国の若い先生方からの相談にのっています。
その半数以上が、教室の「あの子」をどうしたらよいのかという悩みです。
職場のフォローのない場合は、かなり精神的に追い込まれてしまうこともあります。
インクルーシブ教育は、現場に疎い学者さんや特殊な環境でインクルーシブを実現できている方がおっしゃるような、そんなに簡単なことではありません。
ただ単に正論を唱えるだけでは、現場の先生たちは苦悩し疲弊していくだけなのです。
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「インクルーシブであるべきだ。」
という正論を掲げて、いろいろな子どもたちを教室で育てようとしても、その負担が全て教師個人や、学年に追いかぶさってくるというのが現状です。
正論は、現場の教師にとっては絵に描いた餅であって、ただただ厳しく苦しいものです。
「理論は分かるけど、こんなにいっぱいすることあるのに、もうパンクしてしまいます!」
という本音の声は、正しさを前にしたとき、なかなかあげられません。
そこで、本著では、学校現場の実態を本音のままに示し、そこから出発してインクルーシブ教育を考えていきます。
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僕と同じ考えを共有できる現役教師で、特別支援も経て「教室のあの子」への対応の仕方などを研究実践している南恵介さんには、
彼の「あの子」への取り組みや、その取り組みから感じたことについて、思いのままに語ってもらいました。
彼は今、もっとも注目すべき実践家の一人だと思っていますし、
何よりも、ぼくにはない「教室のあの子へのてだて」をきちんと持っている方だと思います。
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