先生の教育への思いの原点は何ですか

Posted By on 2011年8月29日

日私小連の講座の質問から  その2

「いつも先生のお話はとても奥行きがあり、深いなあーと思って拝聴しています。今日もありがとうございました。趣味が教育ということですが、先生の教育への原点は何ですか。」

このことについては、ブログをはじめた頃に書いたことがあるが、最近見られた方もたくさんいらっしゃるので、もう一度、書く。

二度ほど、教師にぼろぼろにされたことがある。

ひとつ目は、小学校の合唱の練習の時。

「誰か変な声で歌っているのがいる。」

と、ある教師がおっしゃり、少しずつ歌う数を減らして「犯人」を捜していった。

そして、最後に、絶対に僕じゃないと堂々と歌っていた僕に、

「多賀、お前や。もう歌うな。」

とおっしゃった。

以後、歌うことが怖くなった。

二つ目は、中学のとき。朝の学習プリントを係が集めたとき、僕のプリントだけ、教卓に忘れていった。

社会の教師が来られて、

「多賀、お前のプリントや。」

と言ったので、僕の責任ではなく係の責任だと思った僕は、

「そんなん知らんやん。」

と、言ってしまった。その先生は、子どもたちといつもため口で話す先生だったから、いつもの調子で言ってしまった。その日は、虫の居所が悪かったのだろう。

「なんや、その口の利き方は。廊下に出ろ。」

と、外に出され、10分間以上に渡って殴られ続けた。僕は痛くはなかった。ただ僕を殴る先生の顔がゆがんでいるのを、みにくいと感じていた。

「いえで反省文書いてこい。」と言われた僕は、母の病院に向かった。母は扁平上皮癌という癌で入院していたのだ。

母に、

「僕は悪くない。反省文を書くのは嫌だ。」

と訴えると、母は静かに言った。

「私はいつ死ぬか分からない。お前は一人で生きていかないといけないかも知れないんやで。一人で生きていくためには優秀な高校へ行かないといけない。長田高校へ行くためには内申書に悪いことを書かれたらだめになる。(このころの兵庫方式は、内申点で合格が決まっていた。)ここは我慢して、、書きなさい。」

僕は泣く泣く反省文を書いた。ウソの作文だから、かっこよく書けてしまう。

「親しき仲にも礼儀ありと言いますが、僕は、先生に対して、失礼な言葉を使ってしまいました。・・・」

次の日、この作文を読んでうなずいていた先生のしたり顔は、決して忘れない。

子どもの気持ちの分かる教師になりたい。

子どもの心を救ってあげられる教師になりたい。

それが、僕の教師としてのモチベーションである。

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