いじめについての話 その2
Posted By taga on 2012年9月1日
そして、読みちがえやすいのは、いじめられている子どもの「笑い」です。
人間には、プライドがあります。
駅のプラットホームで発射直前に駆け込もうとして、
目の前でドアを閉められた方を、見かけたことがありますか?
ほとんどの場合、この方は、照れたような笑いを浮かべて、
周囲を見ないようにして、その場から少し離れます。
電車や車掌に悪態をついたり、ドアをがんがん叩く方は、あまりいらっしゃいませんね。
人は、恥ずかしいときには、笑ってごまかそうとするものなのです。
もっと言うと、「何ともないよ」というふうに笑うことで、
自分自身をも、笑ってごまかそうとするものなのです。
いじめられている子どもにも、似たような心理があります。
その子たちは、やり返すこともできない、
こんな連中の言いなりになる自分に対して、強く「恥」を感じています。
だから、笑うことで、周囲に対して「大したこと無いよ。」と、アピールしたり、
自分の気持ちさえもごまかそうとしたりするのです。
さらに、いじめられている子どもの笑いには、もう一つの意味があります。
いじめられている子どもは、その事実をそのまま自分の中に取り込むと苦しいので、
別のストーリイを心の中で組み立てます。
例えば
「この自分をいじめている連中は、
こういう形でしか自分のストレスを発散できないかわいそうな連中だ。
だから、俺が犠牲になってやっているんだ。」
等というストーリイです。
それは自分のプライドを守るための苦いストーリイです。
少しの間なら、これでやっていけるでしょうが、そのうちに行き詰まります。
行き詰まって笑えなくなったとき、最期の手段を選んでしまうのでしょうか。
本物の笑いと、皮相な笑いを見極めましょう。
こうした笑いの見極めは、それほど難しいことではありません。
事実と笑いをつなげて考えれば分かることだと、ぼくは思います。
何人かの子どもたちにこづかれて服もぼろぼろになっている子どもが笑っていたら、
心のそこからの楽しい笑いのはずがありません。
◆ いじめは、事実をとらえていれば、少しは分かります。
事実を正しく見ることさえできれば、
子どもの笑いや「大丈夫だよ」という言葉に惑わされずに、いじめをつかむことができます。
「笑っていたから、いじめだと思わなかった。」
というのは、大人の言い訳に過ぎないと、ぼくは思っています。
具体的な事実で考えましょう。
子どもとの関係に頼ることもなく、
ただ、子どもの表情や言動の事実をとらえて、記録していくことが大切です。
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