パイプの話

Posted By on 2011年10月14日

「ひとりひとりを大切にする授業づくり」講演

その4

◆ パイプの話をします。

パイプとは、子どもとの具体的なつながりを指します。

そのパイプを通して、教師と子どもとの間になんらかの交流があることです。

その代表的なものが、日記です。

子どもが書いたものに対して、赤ペンを返す。それが交流です。

僕は一生で一度だけ、一人一人の子どもに対して赤ペンに時間をかけて、考えに考え抜いて書いたことがあります。

ふだんなら、体が持たないから、そこまでの時間はかけません。

僕の友人で、毎日電車の中で日記をかかえて赤ペンを書きながら帰ったなんて熱心な先生がいますが、彼はパニック障害になってしまいました。

真面目もいいけれど、体をこわしたら元もこもありませんよね。

僕はもっと適当な人間です。
そんないいかげんな僕でも、毎日必死で赤ペンを入れたとき、

それは、阪神大震災の直後でした。

子どももお家の方もいろんな意味で傷ついてナイーブになっていました。

そして、子どもたちは僕に訴えてくるのです。

震災はきれいごとではありません。みんながいらいらして、疲れていました。

重い話が並びました。

悩みましたが、精一杯の僕の思いを赤ペンにこめて書きました。
あのころ、日記は、まさしく僕と子どもたちとの間のパイプだったのです。

でも、日記だけが子どもとのパイプではありません。

書くことが苦手な子どももいます。

音を日記に書かない子どももいます。
そんなとき、日記とは違うパイプを意識して持つようにしています。

毎日声をかけて会話することも、その一つです。

「おっ、今日は髪型かえたな。」

「お母さんの調子はどないや。」

そんな言葉でいいのです。
笑顔を交わすだけでもパイプになります。朝会で笑顔を振りまいていたら、子どもたちが

「先生、何にやにやしてんの。」

と、からかってきます。

「にやにやと違う。にこにこしてるんや。」

と、そんなくだらない会話がパイプのきっかけになります。
いっしょにサッカーして走り回るのも、ごんたぼうずたちとのパイプになります。

共に遊び、共に笑う仲間の言葉なら、聞いてくれることも多いのです。
パイプはそこらじゅうに転がっています。

去年担任した女の子たちが、廊下で出会うと毎日、僕のお腹をさわって

「ぷにゅぷにゅや。」

と言ってきます。

そして、いくつか話をして笑います。
そんな中で、子どもはちらっと重要な話もするのです。
「先生、僕、双子の弟とケンカしてん。泣かしたった。」

「めずらしいなあ、君ら仲良しなのに。」

「うん。腹立つときもあるねん。」

こんな会話を重ねます。

みなさんは、今担任している子どもの一人一人に対して、「こんなパイプを持っている。」と言えますか。

ひとりひとりを大切にするということは、一人一人とパイプを持っているということなのですね。

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