24年目

Posted By on 2019年1月14日

阪神淡路大震災から24年目。
僕は風化していないし、風化させない。
あれから東北の震災があり、熊本があり、北摂が去年。
亡くなった方の数で大小を論じることに意味はない。
しかし、あのときの神戸の姿は無残だった。
阪神高速が倒れるなんて・・・。
ビルが崩れる中で
ぽつんと立っていたビル。
「ここは大丈夫だったんだね。」
と言っていてよく見たら、
一階の駐車場がぺしゃんこになり、
車の一部が見えていた。
甲南小学校には、1500人以上の方が避難して来ていた。
「おれ、12人掘り出して、助かったのは5人やった。」
「掘ったら、腕だけだった。びっくりした。」
そんな凄い話を笑いながら話す。
壮絶な体験をすると、感情が摩耗する。
1000人、2000人・・・と、
毎日人の死が報道されると、感覚がおかしくなってくるのだ。

しばらく立って、少しずつ店が開いていく。
いきつけの喫茶店に行って
「マスター、生きていたんだね。」
と言うと、黙って両手を合わせておがまれた。
町のいたるところで
「生きてたの!良かった。」
と抱き合う人たちがいた。
混沌とした中で家族以外の方の安否はなかなかつかめなかった。
人の周りにはいろいろな人たちが活きている。
「あの人も生きていたんだ良かった」という思いが町にあふれていた。
生きているということは、そういうことなんだろう。
駅の近くのお好み焼き屋さんが開店したと聞いて
そばめしを食べに行った。
オロナミンCを1ケース持って行って渡したら、
おばちゃんは泣いてくれた。
生きるって・・・。
それから24年。僕の生き方は、あれから変わった。
この数日間は、かみしめて思いを新たにする。

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