父母であること

Posted By on 2011年10月14日

1600年も前のペルシアの詩がある。

 

「父母であること」

あなたは子どもたちに愛を与えることはできるが、

あなたのものの考え方を与えることはできない。

なぜなら、子どもたちは子どもたち自身の考えを持っているのだから。

 

あなたは子どもたちのからだの世話をすることはできるが、

彼らの魂をそっくり飼い慣らすことはできない。

なぜなら、彼らの魂は明日という住み家に息づいているのだから。

 

あなたは子どもたちのようになろうとつとめてもよいが、

あなたのようにしようなどとしてはいけない。

なぜなら、人生は前向きにすすんでいくものでもないし

昨日のままでとどまっているものでもないのだから。

 

◆「父母」を「教師」に置き換えてみよう。

そっくりそのまま、言えるのではないだろうか。

子どもに関わる者の原点であるような気がする。

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Comments

One Response to “父母であること”

  1. 開き直った母 より:

    子供に良かれと思っても、大きなお世話になるのですね。
    自分の考えをおしつけているつもりはないのだけど。
    黙って見守る・・・私自身、忍耐が必要ですね。

    同じこと、同じ過ちを繰り返しながら最近思うのは
    これから何十年と続くであろう子供の人生のうちの
    ほんの数年、回り道しようが、後戻りしようが
    道を踏み外しさえしなければ よし!見守っていてあげるよ
    ということです。

    自分の中で葛藤は続くでしょうが、乗り越えないとね!