2017年初に思うこと

Posted By on 2017年1月2日

年末からずうっといろいろと思い、考えて、
物憂い新年。
人はなんのために生きているのか?
と聞かれたら、
「人の役に立つため」
と答えていたときがある。
しかし、どんなにがんばっても世の中の役に立てない人もいる。
相模原の惨殺事件の犯人は
そういう人たちを襲った。
衝撃的だった。
あれ以来、ずっと考え込んでいる。
人のためになれと教えることは、一方で、それのできない人間を否定することになるのではないかと。

「あなたは、そのままでいいんだよ。」
という言葉の意味を
もう一度かみしめている。

相模原の事件では、被害者の氏名や生きていた姿が公表されない。
マスコミは、
「被害者家族の承諾が得られないから。」
と言う。
では、他の犯罪被害者に対しても
いちいち被害者家族に承諾を得ているのだろうか。
それも差別ではないのだろうか。

家族が承諾しないのは、世間からの二次攻撃のようなものが怖いからだ。
その家族だからと差別するかもしれない。
なぜ施設に入れたと非難するかも知れない。
親族の結婚に差し支えあるかもしれない。
昔、親しくしていた教師がいた。
恋人の弟が障碍者だと知って、別れた。
「黙っていたことが許せなかった。」
ともっともらしいことを言ったので、僕は彼との関係を切った。
人は、かように差別をする。
どの人間の心にもその芽はある。
自分だけは違うなどと思えない。
しかし、その芽を大きくせず
越えて行けるのもまた、人間である。
その芽をはなから否定するのではなく、
自分を真摯に振り返って考えていくこと。
差別はどの人間の心にもあるというのが
原点だと思う。
新年から、ずっとそんなことばかり考えている。

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