自分で考えるということ

Posted By on 2015年1月15日

僕はめんどうくさがりやだから
自分で考えるようになったのかも知れない。
人に尋ねるのがめんどう。
調べるのがめんどう。
自分で考える方がずっと楽。
なんの準備もいらない。
頭が起きていれば、いろんなことができる。

高校の時、夏休みに調べてきたことを授業中に発表していくという地理の授業があった。
40年以上も前だから、今のようにプレゼンーションを小学校で経験してきたわけではない。
調べものは足でかせぐ時代だ。
ネットで調べることができない。
友人達は、わざわざ文部省【今は文科省】にまで行ったり、
地方を回って役所に聞いてきたりしていた。

僕は発表の前日までなんにもしていなかった。
ほんと、おさぼりさんだった。
友人達はそのことを知っていたので
「お前、どうすんねん。」
と、心配というか呆れていた。
前日僕は、帝国書院の地図帳を取り出して、横浜市と神戸市を見比べて
共通点と相違点を適当に考えてまとめ、それを次の日に発表した。
友人達は僕のいいかげんさに呆れてバカにさえしていた。

ところが、発表の後の先生の高評では、すばらしいと絶賛された。
今まで、発表の穴をついては、ぼろくそに言う先生だったから、クラス全員が唖然とした。
先生が言われたのは、
「今までの提案は全て借りてきたことを写して話しているだけだ。
多賀君の提案は、自分で考えてきた。そこが素晴らしい。」
ということ。

僕はそこで自分で考えることって、なんて楽に評価してもらえることなんだろうということを学んだ。

About The Author

Comments

Comments are closed.