好かれる国語教師だって?

Posted By on 2011年9月5日

明治図書のブログから離れたので、明治図書のことについても書きやすくなったというわけではないが、「国語教育」9月号のタイトルが気になった。

「好かれる国語教師の条件」

そりゃあ、子どもに嫌われるのは嫌だし、嫌われると教育はやりにくい。でも、「好かれる」ために教育はしない。こういうことを考えるのもおこがましい。第一、好かれるのは国語と関係ないだろう。

そう思って読んでいると、大学の先生たちは、専門的力量だの、能力を伸ばすだの、いろいろと書いている。それなりに分からないではないが、国語の力をつけてくれる先生が、子どもに好かれるかどうかは、様々である。

納得はできない。

テーマの設定に無理がある。

そして、現場の先生は「好かれる教師への努力」というテーマで書いている。

ものすごく違和感がある。

そんな努力をしているの?

いいことはいっぱい書いてあるんだけど、それが「好かれる教師への努力」として書かれていると思うと、全部、心に落ちてこなくなる。

テーマって怖いね。中身が違っていても、テーマが頭にあって読むから、素直に読めなくなる。

こんなこと考えるから、僕は「好かれる先生」にはなれないだろう。

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