苦しいこと、悲しいこと、辛いこと〔文学性③〕

Posted By on 2014年10月3日

なぜ人は、苦しく辛い文学を読むのだろうか。

読んでいて苦しいはずなのに、どうして手に取ったり、読み続けてしまったりするのだろうか。

 

それは、そこに、人間の生き方(「生きざま」じゃなく)というものを見るからだ。

どんな苦しみや悲しみの中にあっても、懸命に生きようとする人間の姿に心を打たれ、

自分を奮い起こすことができるからだ。

「ひとつの花」(今西祐行)「川とノリオ」(いぬいとみこ)等の平和文学がある。

「ひとつの花」は、戦争と言う悲しみの中にも、

美しいものを大切にする心の素晴らしさを

読み手である子どもたちに伝えてくれる。

「川とノリオ」は、悲惨で辛い思いを描いてはいるけれども、

その中で懸命に生きている主人公の姿に、心を打たれる。

そして、自らの生き方につなげていくことができる。

「かあちゃん、かえれ。」と鎌をふるうノリオの思いは、

どれほど苦しかろうとも、人は生き続けなくてはならないし、

力強く自分が踏ん張るしかないということを教えてくれる。

これらは、まさしく「文学性」だと、僕は考えている。

(このテーマをそのまま子どもに教えるかどうかということとは、別次元の話である。)

 

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