教師は最大の言語環境

Posted By on 2014年2月6日

西宮で今回話したことの一部をここにアップする。

僕の講座や講演を聞かれた方は、よく御存じだろうが、

僕は話が上手ではないので、

ほとんど読み原稿を作って、

できるだけそれを読まずに進めようとする。

下記は、29日の講演の後半の一部。

ただし、実際に語ったこととは、少し違う。

ギャグも違う。

安倍総理みたいな棒読みはしないから、本番の反応で変わる。

 


教師が日々使っている言葉こそが、子どもに言葉に対する姿勢を育てたり、

言葉を大切にする子どもに育んでいったりする力を持っています。

言葉が人の頭の上を上滑りする教師がいます。

なんて、言いながら、今、自分の発している言葉が、

みなさんの頭の上をすべっていっていないか、心配なんですが・・・。

ここ、笑うとこですよ。

黙られたり、うなずかれたりされたら、落ち込みます。

子どもたちは教師の言葉に注目しているのではなく、

人間としての姿勢に注目しています。

「人にやさしく」とか「人の心をきずつけてはいけない」なんて

子どもたちには言いながら、

自分は子どもにいっぱい毒を吐きまくっている教師。

そんな教師の言葉を誰が信用できますか。

「遅刻したら厳しくする」と言いながら

自分はしょっちゅう授業に遅刻してくる。

しかも、「すまんすまん」とか言って、言い訳するか、軽く謝るかです。

そういう教師に限って、子どもには厳しくしています。

そんなやつの言う言葉は、軽くてうそくさい。

生き方と言葉が一致していないと、言葉が死んでしまうのです。

遅刻するなという教師は、絶対に授業に遅れてはいけないし、

万一、遅れたら、子どもに陳謝しなくてはなりません。

それが「生き方を示す」ということです。

何かに書いてあった言葉を自分の生き方と照らし合わせもせずに、

ほいほいと使ってしまう。

そんな教師の言葉も軽い軽い。

自分を人間として鍛えることなしに、

子どもたちに言葉を届かせることなんて、できません。

それから、おんなじ調子でだらだらと話されたら、眠くなりますよね。

緩急と強弱は必要です。

僕は落語で勉強しました。

油断させない話し方は大事ですよ。

子どもは恐ろしくあきっぽいですからね。

そして、いつも何かを期待させること。

「この先生は、何か面白いことを言う。聞いていたい。」

そういう話し方を身に着けてください。

つまり、「聞く」と「話す」は、一体だということですね。

 

 

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