消化訓練の事故

Posted By on 2013年8月8日

消防団が防火訓練でアルコールをつぎ足したところ、

炎がとんで、

小学生たちが大やけどをおったとのこと。

かわいそうに。

 

走馬燈のように17年前の子どもの姿が浮かんできた。

 

一年生の担任で入学式の受付に立って新入生を迎えていた。

包帯をぐるぐる巻にして現れた子ども。

何も聞いていなかったから、驚いた。

阪神大震災の後、そこらじゅうに空き地ができ、

ドラム缶でいろんなものを燃やしていた。

そこへスプレー缶を投げ込んだ人がいて、爆発。

飛び散った炎が子どもの顔にふりかかった。

 

包帯のすき間に見える肌は黒こげで、ぼろぼろと皮膚がはがれていた。

「ミイラや!」「お化け!」

一年生は、思ったまま口にする。

その子たちを制止しながら、なんとかやり終えた入学式。

 

やけどがかゆくてイライラしていたことと、

事故のトラウマでちょっと触れただけで過剰に反応して

トラブルになった。

一年生には、彼の気持ちは分からない、

「凶暴」と呼ばれた。

 

毎日、駅まで手をつないで帰り、お母さんに手渡した。

そうしないとトラブルが絶えなかった。

 

暑くなると、汗とかさぶたがはがれるかゆさで、いらいらしていた。

正直、僕もNくんをどなりつけてしまうことがあった。

でも、そんな僕のことを、彼は家で

「ぼく先生は大好きだけど、学校はきらいだ。」

と言ってくれた。

あるとき、お母さんが、弟がねているだろうと思って、

そうっと家の中に入ってきたということを書いてきてくださった。

そういうこどもの姿、やさしさが、僕を支えてくれた。

お母さんとの「パイプ」の力だった。

教師は、子どものちょっとしたやさしさや、すばらしさに支えられる。

でも、一年生のほかの子にNくんがなんで乱暴するのか理解しろという方が無理。

やっぱり、彼は「凶暴」と呼ばれれた。

もちろん、そのときは、叱ったが・・・。

そのころ、児童館の七夕の飾りつけの短冊に彼が書いたのが、こういう言葉。


「ぼくは、いろんなともだちとなかよくなりたいです。」


ここにこめられている彼の思いに、僕は、胸がつぶれる思いをした。

 

それから、いろいろあったが、

包帯もとれ、色白だったんだと分かる頃には、

彼は、友だちの喧嘩に身体を割って入ってとめるような子どもになっていた。

 

そんなことが走馬燈のように・・・。

 

 

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