酔っぱらいの論争から
Posted By taga on 2012年6月30日
先日の「二人会」の3次会くらいで
僕が少し前に書いたブログの内容が話題になった。
飛行機で出会った子どもとお母さん、席を替わったサラリーマンの話。
僕なら絶対に席は替わらない、と言った話。
みんな見てくれているんだなあって、
そのことがうれしかったんだけど・・・。
「多賀先生の言ってることは、賛成だ。けれども、俺だったら替わるな。」
「僕も、理解できるけど、絶対に替わる。」
まあ、席を替わらないという人は、一人もいなかったね。
でもさ、「言っていることは分かるが、席は替わる」っていうのは、
論理的に破綻していないか。
なんて考えていると、
多くのみなさんは、その場ということを大切にしていて、
僕は、「ところかまわず自己主張する」ということだなと、思い始めた。
反省しているわけでは、ない。
僕の生き方は、そうなんだから。
僕のクラスは、トラブルが起こらないクラスにはならない。
トラブルは、僕があおるようなところがあった。
「仲直りなんか、するな。」
「明日まで、口をきかなくていい。」
「簡単に謝るな。さっきの怒りは、うそだったのか。」
謝ったり、矛先を収めたりしようとする子どもたちに
なかなかそれをさせないようにしていた。
場を収めるという発想がないんだね。
中学入試の前日にでも、
「お前たちのやっていることは、おかしい。」
なんて、雷を落としたこともあった。
やっぱり僕は「がんこ親父」ってことかな。
兄貴が頑固おやじなら、私はなんだろう。こらえ性のない自己中?泣いたり笑ったり怒ったり。裸の心のままにいることって、頑張らなくちゃできないのです。だからそう映っても、「自己中」では絶対ないのです。「頑固」でもね。
いやいや。
そんないろいろ考える必要はないでしょう。
間違いなく「がんこおやじ」ですよ。