親塾⑤ーしつけの話ー
Posted By taga on 2012年6月14日
親塾の№5は、しつけの話。
今回も、一部を紹介する。
今日は、しつけの話です。
躾という字は、「躾」と書きます。文字通り、身体を美しくするということです。
しつけとは、美しさなんです。
ここをまちがっている人がいます。
美しさと言うのは、こういうことです。
昔、連ドラで「おていちゃん」というのがありました。
津川雅彦のおばさんに当たる沢村貞子さんという女優さんの半生をえがいたものでした。
沢村貞子さんって、みなさんはご存じないかもしれませんね。
貞子と言っても、髪の毛を垂らしてブラウン管から出てくるわけではありませんよ。
その沢村貞子さんが、書いていらっしゃったことなんですが。
朝早くにおうちの前をおそうじしていらっしゃったときのことです。
ご近所の方が通りかかったので、「おはようございます」。
相手の方も「おはようございます」と言って下さったので、
「今日は、どちらへお出かけですか。」と聞いたのだそうです。
ところが、後で、お母さんから、そのことを厳しくしかられたんです。
何がいけなかったか、おわかりですか。
お母さんは、こうおっしゃいました。
「あなたね。その『どちらへお出かけですか』が、よけいなこと。
人様には、あまり言いたくない事情だってあるんだから、
そんな穿鑿したようなことを聞くのはお行儀が悪いのよ。」
つまり、お行儀がよいというのは、人のことをいつも思いやれる心を持っているということなんです。
それが、心の美しさだと思います。
「奥ゆかしい」
という言葉があります。「ゆかし」という言葉は、なんとなく心がひかれるという意味です。
「山路来て なにやらゆかし スミレ草」という松尾芭蕉の俳句をご存じでしょう。
これは、「山道をあるいていたら、道ばたに、なんだか心のひかれるスミレの花がさいていたよ。」という意味です。
『奥ゆかしい』とは、なんだか奥が深そうで分からないけど、心がひかれる、という意味です。
これこそが、躾の極意ですね。
ところが、最近は、奥ゆかしさはあんまり はやらないんです。
僕が高校・大学の頃は、女の子から告白るなんて、あり得なくて、
そう言うことをする女の子は、破廉恥でしつけの行き届いていない家庭の子どもだと言われました。
今、ちがいますよね。
時代は変わりました。
男が奥ゆかしくなったかも知れません。
ここまで、二つのことを言いました。
時代が変わったということと、躾は、他人に対する心遣いなんだということ。
その二つのことを頭に置いて、これからの話を聞いて下さい。
躾は、身体に身に付いたもので、着替えて御ニューにすることはできません。
僕は、躾とは心にまとった衣服のようなものだと思っています。
簡単には身に付かないが、身に付ければ、一生、着続けることもできます。
かといって、人生の途中からでも、その気になれば、身に付けることができるという不思議なものですね。
正直言うと、躾のうるさい人って、なんか僕は気に入らないんです。
「あのうちは、躾がなってない。」
なんて言葉には、
「人前でそういう非難をなさるあなたは、どうなんでしょうか。」
と、言いたくなります。
躾が人に対する思いやりであるとしたら、
人を見下して、人前で悪口を大声で言う人の方が、
僕からしたら、ずっとお行儀が悪く見えます。
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