若手実践家の力量形成

Posted By on 2012年5月6日

石川晋さんと赤坂くんが、

石川さんのブログで、言葉を交わしている。

興味深い内容だった。

興味のある人は、

右のリンクの「すぽんじのこころ」をクリック。

 

さて、「若手実践家の力量形成の道筋が、ベテランのそれと違っている」という指摘があった。

 

僕は、若手がどういう道筋の「自分づくり」をしているのか分からないから、

その点は、よく分からない。

将棋の谷川、中原と言った名人たちと、

羽生さんたちとの違いは、

パソコンというアイテムの登場が関連していると思う。

若手同士で瞬時に情報を共有できるというシステムは、

将棋界のある部分を変えたのではないか。

 

教育においては、今の若手と、ベテランの実践家とは、

手法にどういうちがいがあるのだろうか。

そこは、よく分からない。

 

若手を見ていて思うことは、

ジェラシーと危うさの二つ。

このジェラシーは、僕が管理職から受けたようなものとは違っていて、

これだけの実践をしながら、彼らにはまだまだたくさんの時間が残っていること。

うらやましいと言った方が、合うだろう。

 

この若さで、あんなすごいことを、僕はできなかった。

 

危うさに根拠はない。

若さというものは、いつも、もろさも伴う。

「法則化運動」の流れや、

いろんな若手実践家の変貌を見てきたぼくは、

なんとか彼らにはそのままのびていって

次世代の人たちの見本になってほしいと思う。

 

僕は、30代の自分を振り返ると

ただひたすら恥ずかしい。

後悔はしていないが、

今から見たら、恥ずかしい。

そのときの実践で、今、使えるものはない。

 

結局、僕自身のレベルの低さなんだけど。

だから、僕はこつこつと学んできた。

僕の実践では、波動砲のようなものはない。

そういう学び方をしたい人たちには、僕が教えられることがあると思っている。

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Comments

2 Responses to “若手実践家の力量形成”

  1. まるしん より:

    最近考えていることは、若手の力量形成の筋道や手法について、頑張って言語化するのは、赤坂さんたち研究者の仕事。ぼくらは、なんだか違っているみたいという感覚だけぴしっと持っていればいいのだろうなということですかね。

    ぼくは金さんの実践については、体幹に当たる部分は非常に儒教的、ぼくの言葉でいえば古典的だという印象です。ブログで取りあげた点は、金さんの実践の非常にユニークな点なのですが(挨拶自動販売機は、ユニークな方法を使っているけれど、古典的な価値を共有しようとしているものです)、金さん自身は、ここが自分の実践の核だとは思っていない(事実、核ではない)。

    ぼくは、新しい価値観を実践化していくためには、新しいいれものを作らなくちゃいけないと思うんですね。上條さんが新しい酒は新しい皮袋に、というようなことを言っていましたが、新しいものを、古いパッケージで折衷する(これは日本の教育のダメなところですね、対立を地ならししようとする)のではダメだと思うんです。

  2. taga より:

    しんさんへ
    金さんの実践をきちんと見てから
    個別の内容にはコメントします。

    新しい価値観についてだけれども、
    「対立の地ならし」は、僕も反対です。
    折衷という言葉は嫌いです。
    ただ、古いパッケージの魅力はあるし、古い革袋には新しいものにないよそがあるとも思います。
    これはしんさんはよくわかっていらっしゃることだとは、思っています。
    あえてここに書くのは、誤解を持つ人たちがいるかも知れないからです。

    新しい入れ物が必要だと、おそらく良心的な現場の教師は
    みんなおもっていることでしょう。
    ファシリテーションなどの手法が有効だなとは分かっていても、
    まだ道筋は見えてきていません。
    おそらく一部の「勘のいい」教師は、つかみかかっている。

    こういう中で若手が力量形成をしているのか、
    新しいことに飛びついているだけなのか、
    そこが難しい所だと思うのです。
    走っている最中に自分のフォームをチェックすることは至難の技ですね。

    うーん。
    まだ言い足らない。
    勉強不足。